der-DEJ-Apparat’s diary

時事と知識を結び開くために。

Dead Can Dance "Within the Realm of a Dying Sun"

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/d/d9/Within_the_Realm_of_a_Dying_Sun.jpg

 

Dead Can Dance "Within the Realm of a Dying Sun" (1987)

1. Anywhere Out of the World

2. Windfall

3. In the Wake of Adversity

4. Xavier

5. Dawn of the Iconoclast

6. Cantara

7. Summoning of the Muse

8. Persephone (The Gathering of Flowers)

 

1980年代、私が生まれる前の音楽なのだから、当時このアルバムがどう受け止められていたのか、それは知る由もない。

私の好きな音楽の大半は、自分が生まれてからの時代のものである。これは文学作品と対比されうる。なぜなら私の好きな文学作品は、自分が生まれるよりも前の時代のものばかりだからだ。この対比が示すのは音楽と文学における時代性の問題がある。

時代性は、かつて文学作品の根底に潜むものだった。ジャーナリズムがなければ19世紀文学の成立はあり得なかっただろう。殊にフランスにおいて、ボードレールの詩をひとつとってもそうに違いない。商業的に文芸が成功をおさめることができるからこそ、独立した作家による表現が可能になったと言うのは当然だと思われている。しかし注目するべきは適わず霜商業的に成功したとは言えない数多くの作家の傑作が残されていたことである。それはひとえにジャーナルのもつ特殊な性格が実現させることなのだ。

ところが音楽においてはその対である。時代性などというものを意識し過ぎてはならない。なるほど音楽ほどモードを追いかけるものもないのかもしれない。しかしながら、それでも音楽の抽象性は、プルーストの小説を読むときほどの困難を感じさせることはない。音楽に注釈をつけることは可能だ。実際古典音楽の多くに、大量の論文がぶら下がっているというのが現実であり、その中には解釈や時代性に言及する者も少なくない。とりわけ産業化等は実際音環境を一変させてしまったわけで、それは騒音や録音、楽器の大量生産などを含む。結局音楽がなんらかの社会経済的現象と切り離されることはない。勿論それはそうかもしれない。だが、そうして一元論的に語ることには何の意味もないのだ。音楽はジャーナリズムではない。仮令そこにブレヒトの詩が編み込まれていたとしても、それはジャーナリズムとは全く異なるものなのだ。

ところで、このアルバムの一曲目は当然、ボードレールのAnywhere Out of the Worldに借りた作品となっている。元の詩を引いておこう。

 人生は一つの病院である。そこに居る患者はみんな寝台を換へようと夢中になつてゐる。或るものはどうせ苦しむにしても、せめて煖爐の側でと思つてゐる。また或るものは窓際へ行けばきつとよくなると信じてゐる。
 私はどこか他の処へ行つたらいつも幸福でゐられさうな気がする。この転居の問題こそ、私が年中自分の魂と談し合つて居る問題の一つなのである。
「ねえ、私の魂さん、可哀さうな、かじかんだ魂さん、リスボンに住んだらどうだと思ふね? あそこはきつと暖かいからお前は蜥蜴みたやうに元気になるよ。あの町は海岸うみぎしで、家は大理石造りださうだ。それからあの町の人は植物が大嫌ひで、木はみんな引き抜いてしまふさうだ。あすこへ行けば、お前のお好みの景色があるよ、光と鉱物で出来上つた景色だ、それが映る水もあるしね。」
 私の魂は答へない。
「お前は活動してゐるものを見ながら静かにしてゐるのが好きなんだから、オランダへ――あの幸福な国へ行つて住まうとは思はないかい。画堂にある絵で見てよくほめてゐたあの国へ行つたら、きつと気が晴々するよ。ロツテルダムはどうだね。何しろお前はマストの林と、家の際にもやつてある船が大好きなんだから。」
 私の魂はやつぱり黙つてゐる。
「バタビヤの方がもつと気に入るかも知れない。その上あそこには熱帯の美と結婚したヨーロツパの美があるよ。」
 一ことも言はない。――私の魂は死んでゐるのだらうか?
「ぢあお前はわづらつてゐなければ面白くないやうな麻痺状態になつてしまつたのかい? そんなになつてゐるのなら、『死』にそつくりな国へ逃げて行かう――万事僕が呑み込んでゐるよ、可哀さうな魂さん! トルネオ行きの支度をしよう。いやもつと遠くへ――バルチク海のはてまで行かう。出来るなら人間の居ないところまで行かう。北極に住まう。そこでは太陽の光はただ斜に地球をかすつて行くだけだ。昼と夜とののろい交替が変化を無くしてしまふ、そして単調を――虚無の此の半分を増すのだ。そこでは長いこと闇に浸つてゐられる。北極光は僕等を楽しませようと思つて、時々地獄の花火の反射のやうに薔薇色の花束を送つてくれるだらう。」
 遂に、突然私の魂は口を切つた。そして賢くもかう叫んだ、「どこでもいゝわ! 此の世の外なら!」

富永太郎訳 青空文庫  

http://www.aozora.gr.jp/cards/001732/files/55441_50079.html(2017年10月15日閲覧)

 

youtu.be