der-DEJ-Apparat’s diary

時事と知識を結び開くために。

Arca "Mutant" Review (Pitchfork)

pitchfork.com

by Mike Richardson; November, 18, 2015

彼の音楽は時に室内音楽のロマンティックな爪弾きを見せ、また軽快に進行するビートを印象的にみせる。とはいえ、ヴェネズエラ出身のプロデューサー、Arca名義で出されるアレハンドロ・ゲルシ Alejandro Ghersi の作品は、わけてもその流動性・柔軟性によって定義づけられる。彼の楽曲――メロディー、コード進行――のなかには伝統的な音楽性が聞こえてくるだろう。けれどそれらは譜面に固定されるものではなく、むしろとうとうと流れ去っていく。個々の音色は引き伸ばされたり震動したり、ひとつのピッチにとどまってはいられないかのようだ。素早くクラスターを遷ることで特有のコードを徴づける、決してまったくゆだねてしまうことはないまま。そうしてテンポはスピードアップしスローダウンし、時系列というよりうつろいにしたがう。Arcaの深い有機的な機械音楽は、Ghersiの欠‐完了の優美さをみいだす能力によって、定義づけられる。

 

Ghersiはあっというまに長い道のりを辿っていった。彼の経歴は一種のアングラ/メインストリームのハイブリッド、デジタル時代、つまりプロデューサーは宅録ビートからオンライ上でのスターたちとの共同作業へとたちどころに動き回る時代にしか生じないものだ。彼の音楽が非常に多様であっても、その作品の中に彼の声はいつでも聞こえてくる。Ghersiによる最初の作品は、2012年に三つ連続でぱっとしないまま公開された。それらはエレクトロニック音楽の先端に立つもの間で小さくともウェーブを起こした。だがそのほかの人たちにはあまり聞かれることもなかった。とはいえ、その作品に衝撃をうけたひとたちというのがカニエ・ウェストの2013年のアルバムYeezussに携わったひとたちで、Arcaは "Blood on the Leaves" や "I'm in It" を含む四つの楽曲に貢献することで世に出た。同じ年にはFKA twigsのプロデューサーを務めもし、集密と分散が同時に起こるというような、とらえどころのなさによって定義付けられる、ファンタスティックなポップミュージックを創りだすのに助力した。Arcaが全貌をみせた2014年のデビュー作、Xenは、ポスト・ダブステップのビートテープをくしゃくしゃにして丸めた、現代クラシック音楽の倒錯的な様態をしたサウンドによって、Ghersiの領域をさらにいっそう押し広げていった。今年初め、イタリアでのファッションショーのために作られた音楽は、Ghersiが、ジャンルやシーン、high/low artの境界を行き来するその能力を一層進展させていること物語っていた。そして進行中だった、Ghersi作品のヴィジュアル面における、アーティストJesse Kandaとのコラボによって、Arcaはテーマ性あるこの上ない完成度をもったプロジェクトになった。彼は早急に発展させるが、しかし透徹たる基礎の上に築き上げている。

Aphex Twinが、90年代初頭のレイヴの、陽気で開かれたエネルギーを摂取し、そしてそれをすぐれて個人的な芸術へと変じ、そして00年代初頭の、FennezやTim Heckerみたいなプロデューサーたちが新たな世界を作り上げるためには、新たなソフトウェアをいかに用いることができるかを明らかにしていた、そのなかで、Arcaは今我々のこの時代に、抽象的なエレクトロニック音楽を、二元論の外側に存在する人間性という観念のための音楽を、つくろうとしている。「Xenジェンダーレスな存在です」彼は昨年ガーディアン紙にそう言った。「ラベリングに抗い、私たち自身の異なった面々を統合しようとしているのです。」それゆえ、Arcaの曲は決して一つにとどまったものとなることはないのだ。伝統的な美は醜と渦をなし、攻撃性は平穏と並んで存在する、混沌と形式は互いに打ち消しあうことができないでいる。 "Mutant" は対極性のアルバムである。そしてGhersiは、新しいものを創造するために両極を相互作用させるという離れ業をなしとげている。

 

 こうして20曲は一時間を超えて伸展するが、曲の境界は曖昧で、聞けばたちどころに、われわれをサウンドとムードをざっと並べて饗応するレコードが、一続きのものであるかのように思われるだろう。 "Vanity" はピアノソロ曲としてイメージすることができる。

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中心的なメロディーのモチーフはとても可憐で、脳裏に焼きつく。しかしGhersiがその曲で果たしたものは、本質的にいって、統御された爆発の連続であり、その曲のサウンドは百万の断片に破砕するかと思えばおのずと再度集合されていく。 "Alive"のドローンはまさに洞窟から流れ出ているようで、地中の穴を抜けて浮上してくる古代文明の記憶の響きをしている。彼は安定した浮遊を突如中断し、不規則な間隔で曲を揺さぶる飛沫のような休止をはさむ。

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"Umblical" のループするヴォーカルは、惑星地球の生命と接続した、アルバムにいくらか収録されたサウンドのひとつであるが、アルバム中もっとも荒々しく、もっとも冷たい電子音とともにミックスされている。曲は番号をふられているが、いったい現在どの曲を聴いているのかを見失ってしまったとしても、Ghersiのヴィジョンの明晰さは焦点を結ぶ。音楽の毀損した印象はいや増した力の熱量を帯びている。楕円のかたちをした断片が、まったき論理性を感じさせることのない、華々しく神秘的な、影と動態の推移に焦点を結んでいるかのように。

Xen" と比較して、"Mutant" は落ち着きをうしない、クラシック音楽の影響も減っている。Xenの多くの楽曲は、一聴してすぐ、Aphex Twinの "Alarm Will Sound" 風の新たな音楽のアンサンブルを敢行して演奏されているようにイメージされる。しかし "Mutant" は厳密な意味でのsongを避けて、soundscape 音響風景に傾いている。特に "Enveloped" においてそうなのだが、ほんの瞬間振り返ると、そこではビートが突然現れていて、ビートはある種の産業ポップミュージックへ立ち返るために用いられているかのようにイメージされるがしかし、ここではもう、ラジオで流されていたアーティストには奇抜すぎて、まったく別世界のメロディーに用いられた、 warped instrumental patch 有用な/器楽用の歪んだ布あてなのである。だがイージーリスニングではない。むしろ、生命体のように感じられる壮麗な音楽なのである。そしてこのアルバムを作品外のなにものかに関連させるのは困難である。スペインの建築家アントニオ・ガウディは言った、直線は人間のものであり、曲線は神のものである、と。すなわち、 "Mutant" で、Ghersiは多孔性と不安定性への妄執を精神的 spiritual な探求へと変化させたのだ。